HAYST法

Highly Accelerated and Yield Software Testing.

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本棚2 
 
本棚が一杯になったので、追加しました。

※ カテゴリは分けないことにしました。

 

[76]西岡常一:『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』,日本経済新聞出版社,2008年.

 

宮大工と言えば、西岡常一というくらい、今でもTVにでてきます(1995年に86歳でお亡くなりになられていますが、先日も、唐招提寺の千手観音修復の番組で釘・金物を造る白鷹幸伯氏が偲んでいました)。

本書の座談会で、

石川 また棟梁は、「古代建築の復元というが完全な復元はできない。江戸時代には江戸時代の、昭和には昭和の技術がある」と。
山本 「古ければ何でもいいわけではない。ただ古いだけなら、そこら辺の土や石が一番古い」とも言っていました。では、何が文化財として残っているか。それは技術のあるものだけだと言うんです。だから技術を持った職人を残さなければならない、ということになるんです。
 ところが、今回は何とかできた、というのが国の姿勢だと怒っていました。「麦の種を食べてしまったら、もう来年はならんよ」と。つまり職人を育てなければ、いずれモノが造れなくなるということです。

というやり取りがあったのですが、なるほどなと思いました。

私がちょうど、高校の修学旅行で薬師寺を訪れた時、西塔が新しくなっていたのですが、その仕事をしたのが西岡常一だそうです。 当時の私は、色あせて渋い東塔と比較して、目が痛くなるような青と丹の色をした三重塔は「趣味じゃないなぁ」なんて思ったものですが、その考えは間違っていたのかもしれません。

1200年前に造ったその姿を再現すべく昭和の技術を集める、それを通じて技術が伝承していく。そのことが大切なのかもしれないなとこの本を読んで思いました。

[77]堤 宇一(編著)、久保田 享(著)、青山 征彦(著):『はじめての教育効果測定』,日科技連出版社,2007年.

 

企業の人材育成(HRD: Human Resource Development)部門の実務担当者向けに「教育研修のつくり方と、その効果測定方法」について書かれています。

詳細かつ具体的に書かれていて、アンケート用紙のサンプルも載っているので、大変参考になりました。

残念だったのは、本書のスコープがHRD部門と、受講生(とその部署)に限られていたことです。

そう。“講師”についての話がほとんど書かれていないのですね。私がそうだったのですが、講師を始めたころはアンケート結果に9ついいことが書いてあっても1つ毒があるアンケートがあると、3日くらい尾を引いてズーンと沈み込んでいたものです。

だから、アンケート結果から講師は何を読み取るべきか(何を無視すべきか)といったことや、講義に興味の無い受講生を排除する方法とかについても書いてあったらさらによいのになーと思いました。

とはいえ、
 ・ ユカタン半島の産婆の話
 ・ 佐伯胖の「ヨコ」の学習、「タテ」の学習
 ・ レベルごとの効果測定(リアクション、ラーニング、ビヘイビア、リゾルト)
 ・ 教育プログラム改訂のための四つのカテゴリー(Add, Delete, Move, Modify)

等々、面白い話が多かったです。

[78]立林 和夫:『タグチメソッド入門』,日本経済新聞出版社,2009年.

 

立林さんは、名著『入門 タグチメソッド』を書いた人です。

 

『入門 タグチメソッド』の方は、「入門」という言葉は付いていますが、実務者に向けた「入門」であり、難解と言われてきたタグチメソッドの理論をその計算法を含めて、初心者に噛み砕いて解説した本です。

一方、この『タグチメソッド入門』の方は、タグチメソッドの基本的な考え方と、理論を抜きにした最低限の計算法(数式)が載っています。

 

広くという意味では、ノイズ、ばらつき、二段階設計法、エンジニアードシステムの要素、ロバスト設計、損失関数、SN比、動特性と静特性、許容差、第一種の誤り、第二種の誤り、オンライン品質工学、MTシステム等々、ほぼ全域をカバーしています。

ということで、数式を抜きにタグチメソッドの考え方を知りたいと言う人に向いている本です。

 

ただし、この本を読んでタグチメソッドの「言いたいこと」がわかったら、是非、田口玄一自身がタグチメソッドの考え方を語っている本、たとえば、『研究開発の戦略』、『ロバスト設計のための機能性評価』、『タグチメソッドわが発想法』を読んで欲しいです。

やはり、本人が書かれたものの方が鮮烈で心を動かす力がありますから(ただし、いきなり読むと何を言ってるのか分からないので、こういった入門書が必要)。

[79]東 基衛:『ソフトウェア品質評価ガイドブック』,日本規格協会,1995年.

 

話題になることが少なく(TEFで2回だけ……内1件は、にしさんだったりする)、読み落としていたのですが、この本を読まずしてISO/IEC 9126は語るべからずです(私──読まずして語っていました。すみません)。

例えば、

機能性と信頼性における機能の動作に対する要求の相違

 機能性では,機能が存在し,その機能が説明書に従った標準的な操作やデータに対して正常に動作することが要求されているのに対して,信頼性では,存在する機能がどの様な操作やデータに対しても正常に動作し続けることが要求される.

とか

合目的性と成熟性との相違

 合目的性は,信頼性の副特性である成熟性と類似した概念であるが,合目的性は仕様化された機能の存在を評価するのに対し,成熟性は障害の有無(量)を評価するものである.

といった品質特性同士の関係がずばり書いてあって非常に参考になりました。
もちろん用語の定義を重ねながらの解説なのでぶれがすくないですしね。

また、それぞれの品質特性の測定法の例が載っているのもよいです。もっとも、使える測定法は少なくあまり実用的ではありませんでしたが。

そして、何より気に入ったのは「1.2 品質測定・評価の意義」のところで、特に気に入ったのは、次の一節です。

 高品質とは,無限に高い品質を目指すことではない.利用者が使い始めてすぐ満足し,かつ長期間使用しても満足していられる品質といってもよいだろう.このことは簡単なようで実はかなり難しい.コンピュータのような高度な利用技術を要求する製品においては,利用者は,最初につまずくと使うのを止めてしまうし,長期間にわたって使っていると,いろいろな欠点が目についてくるが,欠点のある操作に次第に慣れて気にならなくなったり,愛着がわいてきたりする.また,コストや納期との兼ね合いも見過ごすことはできない.

太字にした部分がいいなー。
高品質であることの確信が持てた上で販売開始できるようにしたいなー。

[80]神永 正博:『不透明な時代を見抜く「統計思考力」』,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2009年.

 

小飼 弾の書評の、

統計学は理工学部でも実はきちんと教えず、頭ごなしに「こうしろ」と押し付けられることが多い学問なのだが、著者は「重点攻撃目標」を「分散」に定めることで、導出には大学レベルの数学が必要な「なぜこうする」を、中学生にもわかるように説明することに成功した。

してやられた、という感じだ。塾の講師をしていたとき、私もなぜ「標準偏差はなぜ2乗してルートを取るのか?」という質問を受けたことがあったが、どうしても彼女を納得させることが出来なかった。こんないい方があったとは!

を読んで、その方法が知りたくて読みました。さすがに、今はもう空気のように使っている式なのですが、確かに誰が決めたんだろう? なぜ、この式になったんだろう?? という疑問がありました。

でもって、読んで納得、すっきりです。

標準偏差でつまづいた方は、立ち読みでもいいから読んでみてください(pp. 137-144)。

それから、相関の話しもなかなか大切なことが書いてあって是非読むべきと思うのですが、個人的には、「サンプルサイズと意味のある相関係数の大きさ」の表(p. 197)が、「そうそう、この表、欲しかったんだよ」って感じで、うれしかったです。

ググッたら、こちらのページにも載っていましたが、要するに、データ群から相関を求める時に、EXCELで散布図を描けば、相関係数も出てくる(R^2の値)のですが、それがいくつ以上なら、相関があるって言ってよいかはデータの数によって変わってくるのですね。

したがって、この表を見て、例えば、サンプルデータ数が30個なら、その行を見て、偶然に相関係数が0.361を超える確率は5%以下で、0.463を偶然超えるのは1%以下かということが言えるというわけです。
(サンプルデータの数が30個で、相関係数が0.463を超えていたらまー、相関があるって言っていいよねって使えるということです)

もっとも、この本にも書いてありますが、サンプル数が20~30個程度で相関の有り無しを判定するのは危険ですが……。

あ。あと、書き忘れましたが、この本は、いわゆる文系で数式が苦手って方でもまったく問題なく読みこなせます。そして、「生のデータにあたれ!」や「グラフ化しろ!」というメッセージを実例を通して納得させられると言う点も価値があります。

[81]瀬山 士郎:『はじめての現代数学』,早川書房,2009年.

 

 

数学好きの人はもちろん、そうでない人も楽しめるんじゃないかなぁと思います。

私が特に「ハッ」と思ったのは、

 その方程式を解くことがどんなに難しくても、解ける方程式であればさまざまな工夫をこらして人はそれを解いてきた。これが「モノ」に対する人間の態度である。一方その方程式が本質的に解けない方程式であれば、そこでは「方程式が解けるとはどういうことか」という「コト」が問題となってくるであろう。五次方程式がまさしくそのような「コト」を問題にしなければならない相手だったのである。


です。

すぐにソフトウェアテストに結び付けてしまってなんですが、「ちょっとした大きさのソフトウェアにおいてもテストでバグがゼロであると証明できない」なら「バグをゼロにするというのはどういうことか」と「コト」を問題にしなければならないのだなと思いました。

[82]有澤 誠:『ソフトウェア工学』,岩波書店,1988年.

 

 

20年以上前の本です。

 

213ページ(文献リストを除くと191ページ)と、コンパクトにまとめられた本なのですが、例のLondon大学の有名な6コママンガ(出典は、University of London Computer Center Newsletter, No. 53, March 1973だそうです)から、今で言うところのペアプログラミングまで、様々なテーマを扱っています。

 

ペアプロについては、

ふたりのプログラマが協調してひとつのプログラムを書くというやりかたは,単独のプログラマが個別にプログラムを書くよりも,ずっとよい結果を得るらしいということも分かった.私はこれを協同プログラミング(co-operative programming)とよび,推奨している.

……略

しかもふたりの能力が同じくらいでも,かなり差があっても,協調していくことができる.これが2という数の重要な点で,たとえ力が劣っていても,仲間の存在はプラスになるため,互いに協調していける.これが3人のグループでは,力のある者同士は競い合い,力のない者はとり残されてしまう傾向があるように,私は日頃の学生たちの観察から推測している.このあたりは,もっといろいろな状況での実験を行うべきであろう.

と書いてありました。20年以上も前の本なのに、すごい!

 

また、本書には、今は、『人月の神話』に載っているけれど、『ソフトウェア開発の神話』の方には載っていないブルックスの「銀の弾丸は存在しない」という主張の要約が載っています。 折角なので、ちょっと長いけど書き写してしまおう。

1) 複雑さ(complexity)

ソフトウェアは規模が巨大であるのに、どこも同じになっていない。しかもそれを実行するコンピュータ自体が複雑な機械である。同じことの繰り返しは生じない。数学あるいは物理モデルを利用することは、複雑さが偶発的であればうまくいくが、複雑さが本質的な場合はうまくいかない。

 

2) 適合性(conformity)

物理の世界は神が創造したものであるから、均一原理(unifying principle)がある。ソフトウェアは複数の人間たちが創造したものであるから、そうはいかず、乱脈きわまりない。

 

3) 変更性(changeability)

ソフトウェアは周りから常に変更の圧力を受けている。他の工業製品はモデル変更や機能追加があっても、それはその後出荷する製品に対してであり、すでに市場に出て運用されているものに対してではない。それに比べてソフトウェアは運用中のものに変更を加える。ソフトウェアはシステムの機能そのものであり、ソフトウェアは原理的には変更可能であるから、変更の圧力を受けることはしかたない。またソフトウェアの寿命は作成時の見込みを大幅に上回ることが多く、これも変更要求の原因になる。

 

4) 不可視性(invisibility)
ソフトウェアは実体を目で見ることができない。目で見ることは、対象を理解する上で大きい要素である。ソフトウェアを図的に表現する試みは成功していない。

ブルックスが挙げた「ソフトウェアの概念的構造(conceptual structure)に基づくソフトウェア工学の問題点」は、20年経った今も、それほど解決されていないなぁと思いました。

[83]神垣 あゆみ:『メールは1分で返しなさい!』,フォレスト出版,2009年.

 

本書に、

1. 平均的ビジネスマンは1日61.5通のメールを受け取る
2. その処理に4.2時間を掛けている
3. 某米企業のCEOはどんなメールでも5分以内に返す


と書いてあったので、ググッたところ、ガートナー ジャパン株式会社の2002年の調査結果が出典のようです。

でも、受け取る数も重要だけど、1日何通メールするかの方も重要ですよね。
ということで、6月に入ってからのメール送信履歴から自分がどのくらいメールを書いているか調べてみました。

6月1日(月) 22通
6月2日(火) 14通
6月3日(水) 33通
6月4日(木) 18通
6月5日(金) 8通
6月6日(土) 1通
6月7日(日) 5通
6月8日(月) 22通
6月9日(火) 19通
6月10日(水) 35通
6月11日(木) 17通
6月12日(金) 20通
6月13日(土) 1通
---------------------------------------
合計 215通(土日を除くと208通)
平均 16.5通(土日を除くと20.8通)
最大/最少 35通/1通
標準偏差 10.8通(土日を除くと8.1通)

平日は、1日20通以上のメールを書いているということですね。

結論から言うと、メールを書く機会が多い人も、そうでない人も本書は買いです。

メールのちょっとした言い回しがもとで円滑に仕事が進まないなんてこと、ありますよね。
この本の一番良い点は、「相手に受け入れられやすいフレーズ」をこれでもかというくらい示してくれているところだとおもいます。また、行動については、具体的に数値で示す(×月〇日までにとか)ことを推奨していてそれも大切なポイントだなと思いました。

本書には、メールソフトや、絵文字の使い方なんてことは書かれていません。本書に書かれているのは、36のビジネスシーンすなわち、「基本、感謝、気遣い、おわび、依頼、打診、確認、質問、返答、承諾、拒否・辞退、禁止・否定、可能・肯定、反論、かわす・回避、助言・指摘、提案、賞賛、遠慮・謙そん、催促・督促、紹介、案内、参考、勧誘、報告、連絡・お知らせ、相談、転職・退職、休職、暑中見舞い・残暑見舞い、年末のあいさつ、年始のあいさつ、お中元・お歳暮の贈答、お祝い、異動、結び」のそれぞれにおける具体的なフレーズが注意点と共に書かれています。

上記36のビジネスシーンは辞書の見出しのように引きやすく装丁されているので実際に使うときにも便利と思います。

[84]Nassim Nicholas Taleb (望月 衛訳):『ブラック・スワン[上/下]』,ダイヤモンド社,2009年.

 

すっごくおもしろい本です。サブタイトルは、「不確実性とリスクの本質」です。

 人間には、私がプラトン性と呼んでいる傾向がある。これは哲学者のプラトンの考え(と人なり)にもとづくものだ。人間とは地図と本物の地面と取り違え、純粋で扱いやすい「型」にばかり焦点を当てる傾向がある。三角形やなんかの物体も、理想郷(つまり「理にかなった」設計図にもとづいてつくられた社会)みたいな社会的な概念も「型」だし、国民性だってそうだ。そういう考えやかっちりした枠組みが頭の中に組み上がると、人間は、ごちゃごちゃして扱いにくい格好のよくない型よりも、そういう見目麗しい型のほうをありがたがる(で、私がこの本を通じて組み立てていくのは前者のほうだ)。
 プラトン性のせいで、人間は、実際にわかっている以上のことを自分がわかっていると思い込む。でも、どこへ行ってもそうだというわけではない。私はプラトンの言う型なんてないんだよと言うつもりもない。モデルや枠組みといった、頭を使って描いた現実の見取り図はいつも間違っているわけではない。ただ、いくつか特定の分野に当てはめたときだけ間違っているのだ。難しいのは、(a) 地図がどのあたりで間違っているのか事前にはわからないし(わかるのは後になってからだ)、(b) そういう間違いが深刻な影響を及ぼす、という問題だ。モデルとは、どうやら役に立つみたいだけれど、気まぐれにひどい副作用を起こす薬のようなものなのである。
 プラトン性の境目とは、プラトン的な考え方がとっ散らかった現実に接して爆発を起こす境界線だ。わかっていることと、わかっていると思っていることの差が危ない広さに達する。黒い白鳥はそんな地で生まれる。

表題の「ブラック・スワン」とは、まずありえない事象のことであり、「予測できない」、「強い衝撃を与える」、「いったん起こってしまうと、いかにもそれらしい説明がでっち上げられ、実際よりも偶然には見えなくなる」という特徴を持つと筆者は言います。

何かに、博識になればなるほど、全てが分かっていると錯覚し、ブラック・スワンの出現と共に全てを失うことになるというのです。たとえば、二人の「ノーベル賞受賞者経済学者」を抱えていたロングターム・キャピタル・マネジメントというヘッジファンドが一瞬のうちに破綻したように。

そして、最も重要なことは、数式や統計学等を駆使して「わかった」と思ったときが一番危ないということです。

金融工学が発達し、「わかった」と思って、リスクの高い商品をまぜたものをガンガン売買していたら、サブプライム問題というブラック・スワンが現われて一気に景気が後退しました。

ソフトウェアテストで言うなら、「信頼度成長曲線を描いて統計に基づく計算をしたところ、99.9%の信頼度です。安心して販売できます」とか、「HAYST法を使って、最先端の代数的バックボーンを使って作った直交表に割り付けてテストしました。2因子間網羅率100%です。これで、組合せバグのリスクはありません」とか……「わかった」と思ったときが一番危ないのです。

何故危ないのか?

バグの検出がガウスのベル型カーブ(例えばポアソン分布)に乗っているのならその裾野の発生確率は非常に低く信頼度成長曲線の予測する通りのリスクなのですが、ベル型カーブに乗っていないのなら裾野の発生確率は分からないので、予測よりもブラック・スワンが現われる危険は想定よりも高い可能性があります。

HAYST法も、因子を出し切っていれば2因子間網羅率100%でテストすれば、恐らくかなり低いリスクになっているのです。しかし、因子を出し切っていない場合は、これもまた、ブラック・スワンが現われるのです。

そして、どちらも情報量の問題ではないことに注意することが大切です。バグ報告を徹底すればとか、レビュー件数まで入れてフィッティングすればという考えは間違いなのです。


情報量の問題ではなく、モデルの誤り(不完全さ)や不確実性の問題なのです。

★★★

さて、それでは、我々はブラック・スワンにどのように対処すればよいのでしょうか?

一般的には、

リスクをコントロールする戦略が不可能ならば、不確実性を積極的に活用するしかない。
ポートフォリオの大部分はアメリカ短期国債のような超安全な資産に投資しつつ、残りの10~15%をあらん限りのレバレッジを効かせたハイリスクな資産に投資するという「バーベル」戦略をとる。
こうすることで、悪いブラック・スワンによる破綻のリスクを避けながら、良いブラック・スワンーー大穴ーーを引いたときには大きく資産を増やすことができる。

といわれてきました。

しかし、ナシーム・ニコラス・タレブの結論は2つあります。ひとつは、

ブラック・スワンには悪い結果をもたらすものと良い結果をもたらすものがある。私は、よい方の黒い白鳥にさらされ、失敗しても失うものが小さいときはとても積極的になり、悪い方の白鳥にさらされているときはとても保守的になる。モデルの誤りがあっても、それでいい思いができるときはとても積極的になるし、誤りで痛い思いをする可能性があるときは被害妄想みたいになる。そんなの当たり前だと思うかもしれないが、ほかの人たちはまったくそんなことをしていないのだ。たとえば金融では、浅はかな理論を振り回してリスクを管理し、突拍子もない考えは「合理性」のじゅうたんの下に押し込んでしまう。

です。

そして、タレブの出したもう一つの結論は、「オッズに振り回された人生を歩まないで欲しい」でした。

その理由については、是非本書を読んで確かめていただければと思います。

[85]椿 広計, 河村 敏彦:『設計科学におけるタグチメソッド』,日科技連出版社,2008年.

 

筆者の椿先生は、1956年生まれで、東京大学大学院計数工学専門課程を修了され、東京大学助手、慶応大学講師、筑波大学教授を経て現在は、統計数理研究所の教授をされています。河村先生は1975年生まれで統計数理研究所の助教をされています。

椿先生は大学1年生の時に田口玄一の講義を聞く機会を得て、統計学の道に進むことを決心されたそうで、東大助手の時には、あの伝説の討論会(1986年に、日本品質管理学会の田口の実験計画法特集の記事を作るために、久米均先生が座長で、田口玄一先生、竹内啓先生、矢野宏先生、廣津千尋先生がした討論会)のテープ起こしをされたそうです。

ところが、ご存知の方も多いと思いますが、タグチメソッドは統計学から外れたところにあり、田口先生自身、「統計的に理論づけすること自体がナンセンス」と統計学とタグチメソッドの関係を否定していらっしゃいます。

統計学者は統計学者で、タグチメソッドが「使った、効いた、だからよいことだ」という帰納的な理解でよいのかという忸怩たる思いがあるようです
裏を返せば、統計と言う数理を用いて科学的に式を立てて同様な効果を導きたいという思いがあるようです。そうすれば、タグチメソッドの「確認実験において利得の差が±3db以内なら再現性あり」といった経験則による判断ではなく、統計学の有意差検定などを適用できるようになるという利点が生まれます。

★★★

つまり、本書は、タグチメソッドに信奉している統計学者が「統計学からみてタグチメソッドを体系化してやろう」と試みたものです。

具体的には、損失関数を、タグチメソッドが使用している「2乗損失関数」ではなく「平均2乗対数損失にもとづいたSN比」を使用することで、SN比解析を分散と平均の解析といった統計の基本的な問題に帰着することができることを示し、簡単な例を用いて、タグチメソッドの結果とほぼ同等の結果が得られたことを報告しています。

言い換えると、タグチメソッドの数理的原理を明らかにする試みのひとつが示されました。

★★★

さて、本書に対して、タグチメソッドの面からはどう考えればよいのでしょうか??

   「タグチメソッドが統計学的にも証明される道筋がつき、統計学の成果が使えるようになりそうだ」

という見方と、

   「田口玄一が、統計学を技術開発に当てはめてはいけないといった意味がまだ、統計学者には理解できていない」

の2つの見方があると思います。

このギャップを埋める必要があると思います。何とか両者が集まって議論を重ねて行くことはできないものかと強く感じました。

[86]まつもとゆきひろ:『まつもとゆきひろ コードの世界』,日経BP出版センター,2009年.

 

Ruby開発者であるまつもとゆきひろは、プログラミング言語オタクだったんですね。プログラミング言語への愛情が感じられる本です。

テストの視点でみると、プログラミング言語の進化がある種のバグを根絶から撲滅し、品質向上に寄与することの実例が満載でおもしろかったです。

例えば、「アクター」という技術。
私は知らなかったのですが「アクター」は並列プログラミングの有望技術だそうです。

 アクターとは「メッセージ(のみ)によって通信を行う実体」です。
 この定義だけだとオブジェクト指向言語における「オブジェクト」と変わらないようですが、違いがあります。オブジェクトに対するメッセージ・センド(メソッド呼び出し)が、呼び出してから結果を受け取るまで待つという同期的なものであるのに対し、アクターのメッセージ・センドは送るのみで結果を待たない非同期なものです。
 --- snip ---
 アクターではメッセージを経由する以外には情報が伝達されないため、アクター間でのリソース競合について心配する必要がありません。アクターに対して送られたメッセージは各アクターが持つ「メールボックス」に配送されます。メッセージが同時に届いた場合の競合排除などはシステムに組み込まれています。
 アクターには安全と言う大きなメリットがあるのですが、それを上回るメリットは「分かりやすい」という点でしょう。アクターはメッセージに応じて処理を行い、必要があれば他のアクターにメッセージを渡す、あるいはもとのアクターにメッセージを返すという振る舞いになります。
 これは現実世界における人間が他の人間とかかわるやり方と大差ありません。


筆者は、続けて、Erlangと、Ruby向けライブラリRevactorと、同じくRuby向けライブラリDramatisの実装の違いを紹介しています。

スレッドなどを使用した並列処理のテストは、網羅させようとすると、すぐにテスト件数が膨大なものになってしまいます。そのような技術領域に対してはこのアクターのようなプログラミング言語技術の進歩に期待してしまいます。

本書は、あくまでもエッセイなのでこれだけを読んで勉強することはできませんが、話題が多岐にわたっていて、易しく解説してあるので多くのソフトウェアエンジニアに役に立つ一冊だと思います。

[87]橋爪大三郎:『はじめての言語ゲーム』,講談社,2009年.

 

ヴィトゲンシュタイン(この本の表記では「ヴィ」となっていました。一般的には「ウィ」のような気がします)の、伝記と、前期『論理哲学論考』 ・後期『哲学探究』 の哲学の解説が前半で、後半に「言語ゲーム」の応用が載っています。

とても良い、役に立つ、読んで損のない本だと思います。

★★★

言語ゲーム:規則(ルール)に従った、人びとのふるまい

本書によると、言葉が通じる理由について、ヴィトゲンシュタイン前期では、世界(出来事の集まり)と言語(命題の集まり)は1対1対応しているからと考えていたそうです。

しかし、同じ言葉でも、石工がその助手に向かって「ブロック」と怒鳴れば、助手はブロックを持っていき、「柱」と怒鳴れば柱を持っていくことから分かるように、石工と助手との間では「ブロック」という言葉は「ブロックと言う物体」を意味しているのではなく、「ブロックを持って来い」という意味で使っていて、しかも、お互い不自由していないわけです。

これは、「建築材料の名前を怒鳴ったらそれを持っていく」という規則(ルール)が石工と助手の間で成立しているから言葉が通じていると考えることができます。

つまり、ある世界(ここでは石工と助手の世界)を理解したかったら、じっと彼らの「ふるまい(の一致)」を観察して、彼らがどのような「ルール」にしたがっているかを理解することが大切ということになります。

筆者は、

 異なった歴史と伝統をもち、異なった価値や意味を支えている人びとが、この同じ地球上に生きている。そして、共存の道をさぐっている。
 共存は可能か。異なるグループの異なる価値観が、衝突するとすればどういう場合か。その原因を理解し、どう調整し、どう解決すればよいのか。……。
 地球上に生きるすべての人びとが、平和にまた豊かに生きていける、その条件とはなにか。そして、そのためにいま、何をすればよいのか。……。
 そうした現代の課題を考えるのに役立つのが、言語ゲームである。
             *
 まずやるべきなのは、異なった伝統、異なった文明に属する人びとがどうやって生きているか、そのアウトラインを記述することである。
 言語ゲームには、人びとのふるまいの一致である。その背後には、ルールがある。ルールを記述し、ルールとルールの関係(ゲームとゲームの関係)を記述していく。
 つぎにやるべきなのは、異なった伝統、異なった文明に属する人びとの従うゲームのルールを、互いに比較することである。そして、矛盾や衝突がないか、調べることである。
 あるゲーム(たとえば、民主主義)が、ある文明から別の文明に(たとえば、アメリカから日本に)移植されると、もととは違った性質をもつことがある。それはなぜかも、解明しなければならない。
 その次にやるべきなのは、それらをよりよくつくり変えていく提案をすることだ。そして、実際に、人びとが新しい(前よりもちょっとだけ違った)ゲームを生きはじめることだ。
 そうやって、世界がいくぶんか生きやすくなったなら、言語ゲームの考え方が人びとの役に立ったことになる。

といいます。

今、私は、テストの仲間たちと、智美塾で、各種テスト技法を並べ整理し、比較し、それらを現場で有効に適用してもらうための土台をつくるということをしています。

そのような方法論(実際には、方法論を作るための方法の整理や、方法論を自分の課題に適用するための方法ですが)の確立には言語ゲームの考え方の理解が役に立つのではないかと思いました。

[88]Robert L. Glass(平鍋 健児 (監修), 高嶋 優子, 徳弘 太郎, 森田 創 (翻訳) ):『ソフトウエア・クリエイティビティ』,日経BP社,2009年.

 

本書では、ソフトウェアの世界には、大きく分けて2種類の文化があると言っています。言語ゲームで本書を眺めると、

一つは、

規律、管理、形式的手法、最適化、定量的思考、プロセス、事務的作業、理論、学会、真剣さ、ローマ人、ヒトの体系化、プロジェクトを管理、グループの目標、ドキュメント最大化、大きな組織、ヒトを道具として使う、帝政、分析的、演繹的、論理的、職能主義、形式を重視、計画する、CMMI、機械主義

という言語を話す世界で、もう一つは、

柔軟性、発見的手法、満足化、定性的思考、製品、知的作業、実践、産業界、楽しさ、ギリシャ人、モノの体系化、プログラムを書く、目の前の問題、ドキュメント最小化、小さなグループ、モノを道具として使う、民主制、経験的、帰納的、直感的、実力主義、実質を重視、実行する、アジャイル、ロマン主義

です。

こうして、各々の世界で重視される言語を並べてみると、

 ・管理者主導:改善のために統制していくべきだ
 ・技術者主導:改善のために実験していくべきだ

という規則(ルール)に従った、ふるまいをもつ組織に分かれていることが分かります。

マイケル・A・クスマノは、

個人の創造性や独立性に注目しすぎれば、開発コストや品質、長期的な保守の統制に、問題が生じかねない。一方、構造化や統制を強要しすぎれば、創造性やイノベーションや変革が抑圧されてしまうだろうし、管理者や開発者、顧客から反乱さえも招きかねない。

といったそうで、著者のグラスもそれに同意しています。

つまり、本書で述べられていることは、「この2つの文化のどちらがより優れているかという議論は不毛である」ということになります。

どちらも、正しい。

「場面によって使い分けていくことが大切なのだ」と何度もグラスは強調しています。

トム・デマルコがまえがきで指摘しているように、

両極の長所を組み合わせるという手法によって、極端な意見のどちらか強いほうをベースにするのではなく、実際のプロジェクトのありようをベースにして開発手法を導き出す。

ことが重要なんだと納得させられる本でした。

350ページとちょっと分量が多いですが、おもしろい話ばかりですので未読の方は是非読んでみてください。素晴らしい本です。

[89]Shel Siegel (著), 古宮 誠一 (翻訳), 広田 豊彦 (翻訳):『オブジェクト指向ソフトウェアテスト技法』,共立出版,2000年.

 

原著は、1996年に出版され、この訳本も2000年に出版と言うことで、自分もいつ買ったのか思い出せないくらいです。
最近「ふとそういえば、ソフトウェアテストをクラス図で表現していた変な本があったなぁ」ということを思い出し、本棚の隅から引っ張り出してきたものです。

そうしたら、案の定、読んだ形跡がほとんど無くて、手が切れそうなくらいにピカピカでした。まえがきをBoris Beizerが書いているのですがそれすら覚えていませんでした(買った当時はBeizer?誰それ??って感じだったのかもしれません)。

★★★

結論から言うと、ここ数ヶ月間、智美塾や、プロコミで考えてきたことが書いてありました。あぁ、先に読んでいたらどんなに楽ができただろうと……。

 

これは、テストアプローチをクラス図で表しているものです。このような形で、ソフトウェアテスト成果物同士の関係が次々と明らかにされていきます。 それも、大型本で、401ページぎっしりと、解説付きで。

それによって、ソフトウェアテストという仕事の要素と構造がはっきりと定義されることになります。

本自体がオブジェクト指向で書かれているので、とても読みにくく、あちこち移動しながらようやく理解できるといった感じ(オブジェクト指向で書かれたプログラムのコードレビューが大変なのと同じ)なのですが、内容はしっかり書かれています。

[90]増田 直紀, 今野 紀雄:『「複雑ネットワーク」とは何か』,講談社,2006年.

 

ソフトウェアテストでは、全体を考えることが非常に重要で、全体を表現するために、マインドマップやNGTが使われているのですが、自分が描いている絵は、どちらかというと、南方熊楠曼荼羅に近いものです。

言葉で書くと、断片を書いて、それらを小さなまとまりにしてクラスター化し、最後に遠くの断片同士を線で繋ぐ方法です。つまり、ツリーではなく、ネットワークなのです(NGTは実は、ツリーではなくネットワークであることを最近知りました)。

それで、この方法をもっと一般化して、使いやすいものにしたいなぁと常々思っていました。

それには、まずネットワークそのものの構造や、仕組み、性質を知る必要があるだろうということで、この本を読みました。

★★★

ブルーバックスだけあって、高校生でも十分理解できるように書いてありました。

グラフ理論の入り口の話(一筆書きとか)から始まり、次に、正方格子やカゴメ格子と、木構造、そしてネットワークとの性質の違いが明らかにされます。

ネットワークを理解するためには、

 ・ノード間の平均距離(小・大)
   例) 世界の全ての人に6人でたどり着ける(平均距離:小)

 ・クラスター性(大・小・なし)
   例) 人々は小さなグループを形成する(クラスター性:大)

 ・平均次数(小・大)
   例) 各人の知り合いは数十人と少ない(平均次数:小)

 ・次数のばらつき(べき則、指数則、スケールフリー、任意、なし)
   例) 知り合いの多い人の数は、べき則に則っている(ばらつき:べき則)

 ※ 次数とは一つのノードから伸びている枝の数のことです。

を理解する必要があります。ネットワークは括弧内の1番目の性質(つまり例に挙げたとおり)なのですが、例えば、正方格子は、{大、大、小、なし}ですし、木構造は、{小、なし、小、なし}です。

最後に、ネットワークの例として、感染症の拡大の話や、コンピュータウィルスの話し、ミクシィの話、脳のニューラル・ネットワークの話などが載っていました。

★★★

ということで、すぐに使えるというわけではありませんが、戦わなければならない敵の姿がだいぶ明らかになってきたという感じがしました。

次数が特に高くなるハブに着目して対策を取らないとならないことなども感覚的には分かっていましたが、理論的に明確になりましたし、ネットワーク構造そのものを木構造で近似するのならクラスター性を表現できるようにしてやればよいのかといったこととか。。。

今度は、もう少し専門的な本を読んでみようかなと思いました。

[91]池上 彰:『わかりやすく〈伝える〉技術』,講談社,2009年.

 

筆者は、報道記者から、NHKの「ニュースセンター845」のキャスターになり、その後、「週刊こどもニュース」のお父さん役を務め、現在はフリーのコメンテータとして活躍中の人です。

そういった、世の中の難しい出来事を、わずか数十秒で分かりやすく伝えることのプロ中のプロが教えるプレゼンテーション術が詰まっている本です。

ここ数年、プレゼン力をなんとかしなくてはと思っていたところだったので、まさにうってつけの本でした。

特に172ページから始まる「使いたくない言葉──無意味な接続詞」の章が非常に参考になりました。そこでは、

 ・ 「そして」はいらない
 ・ 「ところで」何なの?
 ・ 「話は変わるけど」は相手を否定
 ・ 「こうした中で」はどんな中?
 ・ 「いずれにしましても」は話をチャラにしてしまう
 ・ 「が」はいらないが
 ・ 「〇〇したいと思います」は余計だと思います
 ・ 「週刊実話」か「習慣実は」か

と節が続くのですが、耳が痛いことばかり。気をつけなければ。

続くマジックワードの話も良かったです。ちょっと引用しますと、

 プレゼンテーションの場合は、「どうしても報告したいことがあるのです」で始まる文章を考え、実際の発表のときには、その文章を削除しましょう。

というもの。こうすることで、結論、すなわち本質的に何を話さなければならないのかを考えるので、説得力が増すというのです。

なるほどです。

[92]田村 洋一:『なぜあの人だと話がまとまるのか?』,明日香出版社,2004年.

 

どこぞに良い本と紹介されていたのを見て読んだものです。

話がまとまるというよりも、この本の帯にあるように「戦略的に物事を成し遂げるための実践ガイド」という方がこの本の性質をよくあらわしていると思います。

この本で、筆者が最も主張したいとしていることは、

《緊張構造》
 実現したいビジョンや目標と、それに対応する現実との間に生じる構造的な関係のこと。ビジョンと現実を結びつけ、そこに生じる緊張構造を保ったときにダイナミックで創造的なエネルギーが生じる。

ということです。そして、「問題を解決するのではなく、目的に近づくのだ」と言います。つまり、目先の「問題」を意識するのではなく「目的地」を意識することが戦略的に物事を成し遂げる上で大切ということのようです。

そうすると、"That's good."、それはちょうどいい、それはよかったという境地に立って、柔軟にリフレーミングすることができるようになります。つまり、

 まとめようとしていた商談が決裂した。ああそれはちょうどいい、時間ができた、やろうと思っていた研究・開発の時間ができた。それはちょうどいい、商談Aは駄目になったが、以前から懸案の別の選択肢、商談Bの話をしよう。

ここまでいくと、話がまとまらないということは、永遠に訪れないことでしょう。

予算確保に「政治的スキル」を身につけたいという人がいますが、“政治的スキル”じゃなくて、この本で言えば必要なのは“緊張構造を作り出すスキル”なのだと思います。そして、緊張構造を作り出すためには、最先端を勉強することと、自分達の現状を分析するスキルが必要なのでしょう。

“緊張構造”さえ作り出せれば、あとは、キング牧師のように"I have a dream."で始めればいいんです。

[93]日比野 創、日比野 省三:『ブレイクスルー思考のすすめ』,丸善,2004年.

 

この本を手にしたのは、結構前のことなのですが、内容が濃縮されているので少しずつ氷をとかすようにしてゆっくりと読みました。

もし人々が喜んで考えるならば、この世界の問題を解決することは容易である。問題は、考えることを放棄して、人々があらゆる種類の道具に頼ろうとすることなのだ。考えることは、それほど難しいことなのだ。
                  (IBM創設者 トーマス・ワトソン)

何故、多くの人は考えようとしないのか?
 → 考えても問題が解けないと思っているから。

どうして解けないと思っているか?
 → 難しい問題が解けた経験が無いから。

何故、解けないのか?
 → 問題を解くための方法論が間違っているから。

というように、事実を元に問題を分解しながら掘り下げて課題解決していく方法をこの本では、「デカルト思考」と呼んでいます。

デカルト思考は、それまでの神学的思考(聖書に書いてあるから正しい)と比較すると非常に科学的でした。

それまでは、問題があると、解決策を聖書に求め、自分が見つからなければそれを神父や牧師に求め、最終的には枢機卿やローマ教皇の聖書の解釈を持って「というものである」と結論付けられていました。

これでは、聖書に間違ったことが書いてあっても正す機会はないので発展は止まってしまいます(事実、科学の発展は止まっていました)。

だから、17世紀にデカルト思考が生まれ科学は爆発的に進化を遂げたのですが、デカルト思考だけでは解決が難しい問題も出てきました。

それに対応するために「問題解決が上手にできる人の観察から」考え出された方法が、「ブレイクスルー思考」です。いわば、思考方法のパラダイムシフトですね。

ブレイクスルー思考は、7つの原則を持ちます。

第一原則 ユニーク「差」の原則
第二原則 目的展開の原則
第三原則 未来から学ぶ「あるべき姿」の原則
第四原則 システムの原則
第五原則 目的「適」情報収集の原則
第六原則 参画・巻き込みの原則
第七原則 継続変革の原則

そして、ブレイクスルー思考で解決策探索をする際の思考の流れは4つです。

(1) 考え抜き(Think Through) - コンポンを問う。(“そもそも”の段階)
(2) 拡げ抜き(Expand Through) - あるべき姿を探求する。(“どうあるべきか”の段階)
(3) まとめ抜き(Systematize Throuh) - 現実に実行可能にしていく。(“どうすべきか”の段階)
(4) やり抜く(Act Through) - 実現し、成果を出す。

ということで、未読の方は、是非、読んでみてください。ちょっと宣伝臭い文章が多くてげんなりするところもありますが、内容はとってもよいです。

[94]Spencer Johnson, M.D.(門田 美鈴訳):『頂きはどこにある?』,扶桑社,2009年.

 

本書を一言で言うと、人生の浮き沈みへの対処法です。

谷、すなわち失敗が続き落ち込んでいる時には、谷は果てしなく続くわけではないと気持ちを楽に持って、谷に陥った原因となった行為と反対の事をビジョンを明確にして前向きに明るくやろう、逆に、人生の山に長くとどまるには、謙虚になって感謝を忘れず、勉強を続け、状況をさらに改善し続けることで人の役に立とうと。

なんといいますか、日本人には当たり前に身についている考え方なんじゃないでしょうか??

で、ふと気がついたのですが、これって水戸黄門の主題歌である「ああ人生に涙あり」山上路夫作詞・木下忠司作曲なのではと!

人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだ
しっかりと
自分の道をふみしめて

人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに
追い越され
泣くのがいやならさあ歩け

人生涙と笑顔あり
そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより
何かを求めて生きようよ

あぁ、やっぱりこの本の主旨と全く同じ事を言っていました。

[95]田口玄一:『部門評価制度』,日本規格協会,1966年.

 

田口玄一が、1963年に富士写真フイルム足柄工場に導入した「部門評価制度」の内容がまとめられています。

凄すぎて、どこを紹介したらよいのか分からないほど素晴らしい本です。

今回、『技術情報の生産の能率化をいかに行うか』と続けて読んだのですが、当時、ドラッガーの『現代の経営』が発行されていたことや、西堀栄三郎という人をまとめあげる達人が田口玄一の近くにいたということはあるにしても、それらの思想に加えてとことん考え抜かれた知恵がたくさん詰まっています。

まえがきに、

本書の大綱である“最高指揮者の意図のままに、一糸乱れず行動する組織や企業を私どもは信用しない。すべての人間が自発的に行動を決定している企業や組織のほうが競争や外部からの妨害に強い確実に発展してゆく企業である。”“お互いに他人に与えた迷惑のつぐないに責任を持っているからこそ、他人の自由を認める、すなわち他人が自分に与えた迷惑を喜んで受入れることができる”が変わることはないと信じているものである。

という言葉があります。

これは、「他人や他部門の選択や行動の自由を認めること」の重要さと、それを実現するための「部門評価制度、すなわち、責任と補償のルールを明確にすることの大切さ」を言っており、本書で一貫している思想の軸となっています。

以下、本書の前半で気にいったフレーズのいくつかを紹介します。

「首都大学東京図書情報センター」と「東京都立図書館」に蔵書されているようなので、気になった人は是非ご一読を。

動機づけにまず重要なことは認めることである。
手段を自由にするためにまず重要なことは、管理者は部下に対し自分の期待を明らかにすることである。
コントロールということばの意味をまず考えよう。温度を自動的にコントロールすることは、もともとその温度に影響を与える諸原因、気象条件、材料変動等を一定にすることによって、温度を目標値に維持するのは、不可能か不経済であるという前提の下で考えられた手法である。すなわち温度に影響を与える原因等はそのままにしておくのだから、その温度は時間とともに変化することになる。それではまずいから、その温度をたえず観測しもし温度が目標値より高すぎたら、その温度を下げるように重油のバルブをまわし熱の供給を減らし、できるだけすみやかに温度を目標値に近づけることになる。
誰でも、他人(部下を含めて)のやったことの責任を負うようになっていてはいけない。その代わり、部下のやったことについては、その評価と、まずいときには、教育が必要になる。
計画は手段である。
「知識、責任感、積極性、統率力・指導力、判断力、企画力、折衝力、評価力、人格、健康および品性」で人事評価してはいけない。(略)上述の10項目はほとんどResultsやFactsに関係のないものであって、換言すれば、
 (1) 口答えの数
 (2) 迎合の度合い
 (3) 知識・記憶力
 (4) 年功・学歴・毛なみのたぐい
の代弁でしかない。

官庁がすべてそうだといっているのではないが、結果の責任が自分で償えない組織になっているので、必然的にミスを犯さないことに重点がうつり、分担業務中心のチェックが重要視されるようになったのであろう。
設計品質のクレームは、次の二つの条件が重なったときに起こる。
 (1) 競合品の中には、自分の所より良いものがある
 (2) カタログに書いていない

テストグループに設計品質のリストの責任があるということは、どんな使い方をされるおそれがあるか、いろいろな使用条件のもとでうちの品物は競合製品と比べてはたして大差がないのか、すぐれているのか、劣っているのか、そういうことを調べるグループである。
その人たちは、テストできなくても良いから項目を見落としてはならないということが一番大切な使命になる。

設計品質としては、消費者の受ける次の二つの項目
 (1) 感じの良さ(満足度)
 (2) 機能とコスト(消費者の受ける利益と損失)
についてのすべての項目をあげればよいのである。

管理の基本というのは発生原因を作ったところ、責任の所在を明らかにするということが一番の根本である。
その発生原因を作ったところがみずからの努力で向上しようとする努力がなければうまくいかない。

けっきょく相手に与えた迷惑について、それをどう評価するかという基準がないと、会社の中はうまく働かない。

どの部門も何をしようと自由であるが、自分の部門が良いかどうかの評価は他の部門に与えた効果も含めてやられる。それが非常に重要なことである。自由が与えられるということは、それに対する責任を持たされることになる。その代りどういう仕事をやったかということを調べることが重要である。そのために各部門がどういうことをやったときにそれは満点なのか、どういうことをやったときにマイナスなのか、評価の方法が重要な問題になってくる。

……と、ここまででちょうど、この本の前半です。

後半は、これらの人や組織の原則を踏まえ、実際に導入された「部門評価制度」について詳細に記載されています。

[96]大槻繁:『ソフトウェア開発はなぜ難しいのか』,技術評論社,2009年.

 

本書は、ブルックスの『人月の神話』を下敷きにして、ソフトウェア開発の難しさと克服の歴史、今後への提言が書かれているものです。

今後への提言としては、「抽象化」、「自動化」、「モジュール化」の観点で地道に進めていくようにとのことでした(やっぱりそれしかないのかなという答えではありますが……)。

そして、「抽象化」について残りのページが割かれているのですが、

まず抽象化の第一の観点は、
  ・捨象(withdrawing)、削除(removing)する行為
  ・複雑な対象(complex object)のいくつかの性質(properties)を捨て去り、特定の性質に目を向ける行為
 
第二の観点は、
  ・具体的な実体(instances)から共通の性質(common properties)を抽出することによって、一般概念(general concepts)に定式化(formulating)するプロセス
  ・特定の事例(specific examples)から共通の性質(common features)を抽出することによって形づけられる一般的な概念(general concept)


と、「抽象化」の定義をしたあとに、

例えば、みかんをそこにいる人々に等分するという場合に、各人の個数をxと置いて、
   みかんの個数 = 人数 × x
という方程式を立てます。このとき、みかんの重さとか色といった情報は捨象されます。さて、この得られた方程式を解くことは容易です。等式の両辺を同じ数で割ってxの値を具体的に求めることができるでしょう。得られた値は、実際に配布してみて余りがないかで、確認することもできます。


と説明し、抽象化(それに伴うモデル化)が役に立つことを示しています。

と、このように、全体的にソフトウェア開発の専門家でなくても分かるようにまとめられています。また、ソフトウェアの専門家に向けては注という形で補足が充実していますので詳しい人も面白く読み進めることができると思います。

# たとえば、ブルックスが、IBMのOS/360の開発を率いていたことは有名ですが、OS/360プロジェクトの途中でノースカロライナ大学へ移ってしまったなんて知りませんでした!!(『人月の神話』に書いてありましたっけ???) さらに驚いたのは、その混迷のプロジェクトを引き継いだのが、CMMを構築した、あのワッツ・ハンフリーであったそうです。面白い関係ですね。

[97]渋井真帆:『大人のたしなみビジネス理論一夜漬け講座』,宝島社,2008年.

 

もし、『ブルー・オーシャン戦略』、『ザ・ゴール』、『ビジョナリーカンパニー2』、『ウェブ進化論』、『ネクスト・ソサイティ』、『ネクスト・マーケット」、『富の未来』のどれか一冊でも未読であったらこの本は買いだと思います。

 

ちなみに、私は、『ザ・ゴール』と『ウェブ進化論』しか読んでいなかったので、読んでよかったーとしみじみ思いました。

本書は、上記7冊の要約です。

 

もちろんこの本を読んだレベルで「ブルー・オーシャン戦略って、誰も踏み込んだことが無い市場を開拓して新しい需要を掘り起こすことなんだ」とか語っちゃったら痛い子になってしまうのだけれど、『ザ・ゴール』と『ウェブ進化論』は読みやすいので別として、アルビン・トフラーの『富の未来』なんて自分は絶対読まないもの……トフラーは大学の時に就職のためにこのくらい読んでおくかと『第三の波』を買って後悔したもんなぁ。

 

まずは、この本で概要を学んで気になった本をさらに読めばいいと思います。そして、この本レベルの概念であっても全く知らないより知っていた方が絶対よいと私は思います。

 

ちなみに、私はP・Fドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』とC.K.プラハラードの『ネクスト・マーケット』が気になったので、まずは前者をポチッっとしました。

[98]Ian Molyneaux (著), 田中 慎司 (翻訳) :『アート・オブ・アプリケーション パフォーマンステスト』,オライリージャパン,2009年.

 

書店でなかなか見つからないなぁと思っていたら、ソフトウェア工学関係の棚ではなく、O'REILLYの棚でした。

ソフトウェアパフォーマンステストは、こんにち、その重要性が高まってきているほどには、情報がほとんど無く手探り状態でテストをするか、専門のツールベンダーに委託してテストをするのが常でした。

私も、シンポジウムで負荷テストツールのベンダーのテクニカルセッションを聞いたり、LoadRunner、QALoad、e-Load導入時にベンダーの技術者と話す中で少しずつTIPSを仕入れていたという状況だったのですが、この本は、そのような情報やノウハウが体系的に手に入る貴重なものでした。

パフォーマンステストを設計、あるいは、実施する人は全て読むといいですよ。
おすすめです。

[98]結城 浩:『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』,ソフトバンククリエイティブ ,2009年.

 

"ε-δ論法"の説明がとても分かりやすかったです。

それから、《重なるペア》の話がものすごく良い。『数学ガール』の本質を表している話だと思いました。

さて、タイトルにある「ゲーデルの不完全性定理」ですが、第1章にいわゆる「クレタ人の嘘つき問題」の亜流が載っていたので『理性の限界』のような理解のさせ方をするのかなと思って読んでいたのですが、その予想は見事に裏切られ、きっちりと証明してくれました。

うーん。一読しただけの今はまだちゃんと理解できていないけどすごいことだと思います。

それから、テスト関連の人は、数学で言うところの「同値関係」の説明がしっかり書いてあるので抑えておくと良いかもしれません。

ということで、お勧めです。

[99]土屋 秀宇:『日本語「ぢ」と「じ」の謎』,光文社,2009年.

 

小学生の頃に、「鼻血」の「血」は「ち」なので、ふりがなは「はなぢ」と習った時に、じゃあなんで、「地面」の「地」は「ち」なのに、ふりがなは「じめん」なんだろう?と不思議に思っていました。

答えから言うと、「現代かなづかい」ルールにおいて、

① 二語の連合によって生じた「ジ/ヂ」「ズ/ヅ」は、「ぢ」「づ」と表記する。
② 同音の連呼によって生じた「ジ/ヂ」「ズ/ヅ」は、「ぢ」「づ」と表記する。

からだそうです。「鼻血」は①から、つまり「鼻」と「血」の連合からできているので、「ぢ」となり、「地面」は連合ではなく一つの単語だというのです。

(ちなみに、②の例としては、「縮む(ちぢむ)」や「続く(つづく)」があります)

しかし、「地面」だって「地の面」の連合じゃないの?と思う人もいるでしょうし、もっと変な例として、「大詰め(おおづめ)」、「差し詰め(さしずめ)」なんていうのもあります。

★★★

本書では、何故このような混乱が生じてきたのかについて、歴史的経緯を含め丁寧に解説しています。
かいつまんで要点を書くと、昔、「漢字は難しいので日本語は全て、ひらがなで表記しよう」という運動があり、その過程で生まれたものだと言うのです。

やぁ。吃驚ですね。

★★★

でも、笑ってばかりもいられなくて、当用漢字(今は、常用漢字になってしまったので使われていません)が制定された時に、当用漢字の1850文字に選ばれなかった難しい漢字に対して、「代用漢字」による書き換えルールが合わせて公布されたそうです。

つまり、これまで使われていた漢字が難しいから似たのでいいよねということです。例えば、

昏迷 → 混迷   撒水 → 散水   萎縮 → 委縮
暗誦 → 暗唱   衣裳 → 衣装   交叉 → 交差
骨骼 → 骨格   根柢 → 根底   尖鋭 → 先鋭
煽動 → 扇動   戦歿 → 戦没   褪色 → 退色
短篇 → 短編   註釈 → 注釈   沈澱 → 沈殿
手帖 → 手帳   編輯 → 編集   掠奪 → 略奪


といったものです。
これらって、言葉の意味が微妙に変わってしまっていますよね。

旧かなづかいについても同様で、「言う」の五段活用が「言わない」「言います」「言う」「言うとき」「言えば」「言え」「言おう」というように「わ行」と「あ行」の二行にまたがって不規則に変化するのもその影響だそうです。

つまり、旧かなづかいなら、
「言はず」「言ひたり」「言ふ」「言ふとき」「言へども」「言へ」「言はむ」
と、きれいな「は行」の四段活用になります。

★★★

「通じるのなら簡単なほうが学習時間が少なくて済む」という論理で制定されてきたこれらの日本語表記規則ですが、それによって言語感覚が鈍くなってしまうという大きな問題もあるのではないかなぁと考えさせられました。

[100]二上 貴夫:『相手にYesといわせる SEの英会話「超」入門』,技術評論社,2006年.

 

本書ですが、米国のひとつのプロジェクトを日本の企業が請け負うというストーリーを通して英会話を学ぶという構成をとっています。

英語のレベルは、「超」がついているくらいの入門書なので、さすがの英語ができない私でも、意味が取れない文章と言うのはほとんどありませんでした。

例えば、後半のテストの章には、

Shoji: Thanks for attending this meeting. The purpose of this meeting is to understand how we test the software before the system test.
System test is to verify every requirement is embedded on hardware / software system by exercising all software and hardware.
 
John: All right, we focus on software in this meeting. Azuma will give good partitioning of engineering view for testing.
 
Azuma: Yes. The very basic of testing in engineering view is unit test, build test and system test.
The system test in user and requirement view is called validation in other word.


といった文章があるのですが、別に難しい単語は一つもありませんし、意味も分かると思います。

ただ、では、この本のレベルの会話が問題なくできるのか? とか、聞き取れるのか?? というとそんなことはないので、英会話が嫌いなんですよねぇ。

いい加減、実用に耐える携帯型の自動翻訳機が現われてもよいとおもうのだけれど(だって、全世界の人のニーズがある製品なので)未だにあらわれていないというのは、本当に謎です。

そうそう、本書の登場人物にはそれぞれ実在のモデルがいるそうで、上の英文に現われているQA(品質保証)スペシャリストのAzuma(東さん)にももちろんモデルが、、、。

[101]野村 恭彦:『裏方ほどおいしい仕事はない!』,プレジデント社,2009年.

 

野村さんは、同じ会社の人で、HAYST本の共著者の仙石さんと同じKDIなのでたまにお会いし挨拶くらいはするといった関係の人です。『サラサラの組織』を読んで気に入ったという人ならこの本も気に入るんじゃないかなと思います。

逆に、『サラサラの組織』が嘘っぽい話だと思う人は、こちらの本はもっと嘘っぽく感じることでしょう。

この本では、課長や部長など、肩書きを持たずとも「事務局力」さえあれば組織は変えられる。むしろ、肩書きよりも事務局力こそが大切だということを主張しています。

また、

事務局力は得意、不得意で測れる種類の能力ではなく、繰り返しの動作により身体が覚える「型」や「作法」のようなものだ。


と言います。つまり誰もがリーダになれるわけではないが、誰でも事務局力の「型」と「作法」にトライし身に付けさえすれば「裏方」という立場で世界を変えることができるというのです。

事務局力の本質は、本書にある、

ありたい方向に人を説得して向かわせるのではなく、そちらに向かってしまうような状況をつくっておくのだ。


という言葉に集約されるような気がしています。

つまり「リーダ」としてリーディングしていくのではなく、「ビジネスプロデューサー」としてみんなを気持ちよく動かし成果をあげる力が事務局力なのです。

周りを変えたい、でも、どうしたらよいかわからないという若手社員に是非読んでもらいたい一冊です。

自分がやりたいと思っていることをチームがやりたいこと、部門がやりたいこと、会社がやりたいこと、社会がやりたいことにすることができる方法が書かれています。そしてそうなれば、自身の成長につながることでしょう。

[102]長野 晃子:『日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか』,草思社,2003年.

 

ルース ベネディクトは、著書『菊と刀』において、欧米人はキリスト教の影響を受けて「罪の文化」であり、日本人はそれに対応して「恥の文化」であるとと規定しました。

欧米人は、神様がいつでも見ているという意識があるので、人が誰も見ていない場所で悪いことをした場合でも罪の意識に囚われるが、日本人は、「恥」と言う意識はあっても「罪」という意識は無いので、人が見ていないところでは平気で悪さをしそれに対する良心の呵責はないというのです。

つまり、日本人は、

自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけていると同時に、他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる

とベネディクトはまとめました。

『菊と刀』を読んだ日本人は、「そうかー。やっぱりそんな日本人だから(すばらしい欧米との)戦争にも負けたんだ」と思い込んでしまったのですが、本書は、民俗学の観点からこのベネディクトの呪縛を解き放った本です。

★★★

結論から言うと、ベネディクトの『菊と刀』は敗戦国である日本を文化的に断罪するために巧妙に練り上げられたプロパガンダの書であり、日本が欧米と比較して犯罪が極端に少ないことから分かるように、実は日本人の方が罪の意識が高く、それは民話などを比較することで証明できるという内容でした。

とてもおもしろく一気に読めたのですが、内容が多岐にわたるため、本書で示されているエピソードのなかで特に心に残ったものを2つ紹介します。

ひとつは、「カイゼン」に対するものです。デビッド・コール教授の、

 我々は達成した後は休むことができるゴールを求めがち。トヨタやホンダはゴール自体が常に先へと動く。それが継続的なカイゼンだと思うのですが、我々がまねるのは文化的につらい。

という見解に対して、日高義樹の、

 競争すること、「1番になること」が大事だから、アメリカ人は強烈な目的意識を持つ。
 だが、この目的意識は同時に「何のためかはっきりしないことはやらない」という態度につながっていく。
 実際、アメリカ人は「何のために」という言葉を実によく口にする。「ただなんとなく」という言葉はこの国の辞書にない。
 ともかく「何のために」がはっきりしたら、そこにたどりつけばいいのであって、経過はただの「時間」にすぎない。(後略)

を挙げ、筆者は、

 目的=結果意識をもちすぎることにも問題があるが、目的=結果意識をもたなすぎることにも問題がある。しかし、目的よりも経過を大切にする過程重視文化をもつ日本人にとっては、“誠意”をもって“努力”することこそ大事なのだ。

とその違いをまとめています。私には大変腑に落ちる話でした。

また、「喧嘩両成敗」が世界の常識ではないという話も面白かったです。

 彼ら(欧米人)のいうことを簡単にまとめると、「喧嘩(争い)は善と悪との戦いであって、喧嘩(争い)が起こるのは必ずどちらかが悪いからだ。たとえば、子供の喧嘩を例にとってみよう。Aがお菓子を持っている。Bがそれを取ろうとする。だから、喧嘩が起こる。Aが善、Bが悪に決まっているじゃないか。親の役目は裁判官としてそれを裁き、悪いほうを罰することだ」となる。

というのです。これは、タイトルの『日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか』にもつながる話で、『欧米人はなぜいつも「謝らない」のか』という理由が分かったような気がしました。

他にも面白い話が多数あり、これからグローバルな世界で活躍して以降と言う若者に特にお勧めです。

日本人のアイデンティティに誇りを持てるようになるかもしれません。

[103]Richard Monson-Haefel (編集), 鈴木 雄介 (監修), 長尾 高弘 (翻訳) :『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』,オライリージャパン,2009年.

 

面白いエッセイもあれば、何をいまさら分かり切ったことをというものもありました。

例えば、エリック・ドーネンバーグの「地上300mからの目」という話はとても納得ができました。設計図表では粗すぎ、ソースコードでは細かすぎる間を「静的解析ツール」で補おうという提案です。

★★★

デザインパターンなどについては、両方の意見が載っていてこれも面白かったです。アーキテクトもデベロッパーであれ!というのはそのとおりだと思いますし、チャド・ラヴィーニュの言うとおり「今度は、どのパターンを使ってやろうか!?」なんて考えるアーキテクトは願い下げです。

★★★

それから、ディモシー・ハイの「理由を書き留めよ」というのはそのとおりで、アーキテクトに限らず重要なポイントと思います。

★★★

そして、ピーター・ジラードモスの「設計した通りにはならない」というエッセイも大切な話です。「設計は発見的なプロセス」という言葉は非常にしっくりくるものでした。

[104]Garr Reynolds(著), 熊谷 小百合 (翻訳) :『プレゼンテーション Zen』,ピアソンエデュケーション,2009年.

 

プレゼンの資料の作り方と、プレゼンの仕方について書かれた本です。

本書の主張は、PowerPointのWizardを使って完成するような箇条書きだらけの「伝統的な方法」はやめて、スライドはビジュアルで右脳に訴えるものを、スピーチはストーリーになっていて左脳に訴えるようにし、「心を引きつける」プレゼンをしようということです。

従来のプレゼンテーションの本に書かれているアドバイスは、箇条書きをする際には「1-7-7の法則」を守りましょうといったものでした。

※ 1-7-7の法則とは、1枚のスライドに1つのトピックまで、テキストは最大7行まで、1行に使う言葉は7つまでにする方法のことです。

それに対して、本書は、箇条書きを一切使うなとは言っていませんが、ごくまれな例外にとどめるべきとアドバイスしています。その代わりに、ビジュアルなスライドと、文章による詳細な情報の入った配布資料を分けて作成して提供することを提案しています。

要するに、ビル・ゲイツのような平凡なプレゼンをやめて、スティーブ・ジョブズのプレゼンに倣えというのです。

この本を読んだからと言って誰もがいきなりジョブズになれるわけもありません。また、何かの技術を講義したいといった場合は、この方法は使えないかもと思いますが、参考になることはたくさん書かれているのでお勧めです。

最後に、Twitterで@oreshioさんから、

http://www.sxc.hu/http://www.photost.jp/ は無料会員登録するだけで、結構良い写真が探せますよ。後者は写真クリエイターのクレジット表記が必要。

という情報をいただきましたので転載しておきます。ありがとう!

[105]Sidney Dekker(著), 芳賀繁(翻訳) :『ヒューマンエラーは裁けるか』,東京大学出版会,2009年.

 

とても読みにくい本です。

著者の主張は少ししかないのですが、それが決して理解しやすいとはいえない例(説明が悪いだけではありますが)と共に、非常に冗長に語られるからです。

では、この本に価値はないのか?というとそんなことはなく、大変重要な真の難題について取り組んでいる過程を記した良書です。

本書が対象としている課題は、

・ 失敗から学び、安全を向上させる。
・ その結果として公正さを達成する。

です。
この本を読むと、この2つの課題がどんなに難しいことかが良くわかります。

★★★

本書の最初の例では、看護士が薬を間違え乳児を死に至らしめた失敗が紹介されています。

「薬を間違える」失敗は、アクシデント(偶発的な事故)ではなく、確かにインシデントでありヒューマンエラーの結果です。

このヒューマンエラーは、紛らわしい薬瓶、読みにくい医師の走り書き、看護士と言う激務、最新医療システムを使いこなせない医師、薬の間違えによる発作に対する逆の治療、裁判までに消えた処方箋……等々のシステムの問題に踏み込んで初めて「失敗から学び、安全を向上させる」ことができるはずなのですが、裁判はこれらの証拠を全て隠させる作用に働くだけであり、失敗から学ぶことはまったくできません。

看護士は薬を間違えたのですから、確かに罪を償うべきですが、この状況は明らかに公正さを失しています。

★★★

身近な例で考えてみましょう。

バグを作りこんだ開発者が、もしそのバグの数で査定されるとしたら果たして正直にバグを報告するでしょうか?

本書は言います。

 ほとんどすべての専門職には隠れたカリキュラムがある。おそらくそこで専門家は、失敗を、何かもはや失敗でないものに言い換える巧みなレトリック(話し方)を教えられる。おそらそこで、当局や他の外部機関に真相を語ることを禁じる沈黙の掟「オメルタ」があることも学ぶ。

つまり、バグの例なら「それは仕様だよ」というということでしょう。

さらに、それに対して「仕様ではなくバグだ!」と線引きをする人は誰かと言う問題があります。「悪質」、「怠慢」、「意図的」を客観的に機械的に判定するのは難しいことなのです。

★★★

ヒューマンエラーにより家族を失った遺族は、一時的にはヒューマンエラーを起こしたその人を憎むにしても、「この悲劇を繰り返さないように、、、。家族の死が無駄にならないように」と思うといいます。

ところが、その願いは、裁判にかけても決して叶えられることはありません。

裁判は誰が法的に悪いのかを決めたり、酷い場合は、類似の問題を含めて世間の怒りを静めるための生贄を決めるだけだというのです。

また、さらに悪いことに、

インシデントを裁判にかけると、人々はインシデントを報告しなくなる。
逮捕されたり裁判にかけられたりする可能性を考えることから生じるストレスや孤独感は、実務者の仕事におけるパフォーマンスを低下させる。どのようにふるまったら法的なトラブルに巻き込まれないかということに認知的な努力を割くことは、質の高い作業の為に割り振られるべき注意力を損ねる。

そうです。つまり、医師であれば訴えられないために過剰な検査を行い、そのために病院が混雑し、医師の過労は進み注意力散漫になり、結局は重要な問題を見落とし、、、といった悪循環を起こすというのです。

★★★

本書では、公正な世界を実現するためには、
 ・ 「悪質」かそうでないかを選別する専門組織(司法ではない)
が必要であり、さらに、
 ・ 失敗から学んだ教訓がシステムに反映され確実に再発防止される
必要があると結論付けています。

この本ではほとんど触れられていませんが、被害者(遺族など)の心の問題のケアも重要な課題でしょう。


ということで、この本では、完璧な回答が示されたわけではなく、議論が始められる共通の土台が提示されたと考えた方がよいでしょう。

色々と考えさせられる本でした。

[106]酒井穣:『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』,光文社,2010年.

 

色々とよいことが書いてある本です。たとえば、有能なリーダの条件として、ラム・チャランの「人を見る目」を紹介しているのですが、それは、

・ 自分よりも優れた人材を積極的に集めて活用する
・ タスクに対して能力が足りていない部下はためらいなく入れ替える
・ 人材間に発生する対立を予測し、見極め、解決する

というものだそうです。
確かに、そのようなリーダが成果を上げそうです。

 

ところで、2番目の部下の切捨ては、日本にはなじまない考え方かもしれません。

河合隼雄の本によると、父性原理に基づく西洋の近代社会では、「各人は自分の能力の程度を知り、自らの責任においてその地位を獲得してゆくこと」があたりまえであるそうです。

そのような、社会においては、能力不足は本人の責任であるから切り捨てて当然なのでしょう。

逆に、母性原理に基づく日本では、場に入った人に対してはその能力の有無を問わず、能力が不足しているのであれば、のーまんさんの書かれた通りみんながサポートして成長をうながしてきたわけです。

それはそれで素晴らしい社会であると私は思います。

それから、人間の能力について書かれた、

 ところが人間というのは、長いこと同じ職場で同じような仕事をしていると、そうした状況にある自分自身を肯定するために、「自分の能力では、今の仕事ぐらいがちょうど良いのだ」と考えるようになってしまうものです。
 もしかしたらそれは、本当の能力のたかだか20%程度しか必要としない仕事なのかもしれないのに……。

 自分をあきらめない。

 自分の能力を出し切るためには、まず自分で自分の可能性を信じてあげることが重要だと思います。さらに弱気になりがちな自分を、「君の能力は、そんなものではない」と叱咤激励してくれる家族や友人の存在が絶対に必要です。

といったエールや、徒弟制度に対する、

 教えると学ばないのが人間という生き物なのです。
 この点を考慮し、自ら学ぶようにしむける仕組みを提供するのが人材育成プログラムの本質です。この意味で、徒弟制度は非常に完成されたプログラムなのであって、とくにリーダー育成においては絶対に避けて通れないものです。

という指摘など心に響きました。

その一方で、理論紹介に留まっている部分も多く本当に役に立っているのかなぁと思うところもありました。
人材育成に興味のある方にはお勧めです。

[107]Peter F. Drucker(著), 上田 惇生 (翻訳):『ネクスト・ソサエティ』,ダイヤモンド社,2002年.

 

ドラッカーって凄い! と素直に思いました。
たとえば水産の養殖について、
水産の養殖が現われた。一万年前に陸上で起こったように、海洋においても、採集と狩猟から農耕と牧畜の時代に入る。
って書いてあって、言われてみればその通りなのですが、自分は鮪の養殖のニュースを見ても「これで、トロが安くなるかな」程度の見方しかできていませんでした。……つまり同じものを観ても局面の捕らえ方が広いんですね。

それから、この本の中心テーマである「ネクスト・ソサエティ」についてですが、こんなことを語っていました。
 IT革命とは、実際には知識革命である。諸々のプロセスのルーティン化を可能にしたものも機械ではなかった。コンピュータは道具であり、口火であるにすぎなかった。ソフトとは仕事の再編である。知識の適用、特に体系的分析による仕事の再編である。鍵はエレクトロニクスではない。認識科学である。
いや。まさに、その通り。

多くのソフトウェア技術者に自分は「仕事の再編」をする役割なんだと認識させ、やる気を起こさせないとたとえインターネットなどの道具が増えてきても、いつまでたってもネクスト・ソサエティは来ないよなぁと思いました。

日本に対するドラッカーの認識がちょっと面白かったので引用します。
 一六三七年に、日本は、ヨーロッパ以外の国ではもっとも貿易がさかんだったにもかかわらず、突然鎖国を決めた。半年で国を閉じた。混乱は大きかった。そして一八六七年に明治維新を行い、これまた一夜にして国を開いた。一九四五年には戦争に負けた。いまから一〇年前に突然ドル高がやってきたときには、ただちに生産拠点をコストの安いアジアに移した。華僑ともパートナーシップを結んだ。中国本土でもメーカーとしての地位を築いた。
 日本は劇的な転換が得意である。一定のコンセンサスが得られるや、ただちに転換する。今度の場合は、おそらく何らかの不祥事が大変化の口火となる。銀行の倒産がそれかもしれない。
日本が劇的な転換が得意だなんて考えたこともなかったのですが、言われて見るとそういう国民性もあるよなぁ(農耕民族なので決まると一致団結してそっちへ行く)と思いました。

今回のトヨタの件で、ソフトウェア品質の重要性が認識されて一気に流れが変わるといいなぁとひそかに思ったり……。
[108]河合隼雄:『母性社会日本の病理』,講談社,1997年.
 
「第一章 日本人の精神病理」が分かりやすく勉強になりました。

第二章以降の「ユングと出会う」、「日本人の深層心理」、「物語は何を語りかけるのか」は、いずれも深層心理を扱ったもので面白いし言っていることはわかるのですが、私にとっては書いてあることをそのまま受け取るしかなくという状況でした。河合隼雄をさらに何冊か読んでいけば「そういうことだったのか」と得心していくような気がしています。

★★★

それで、私にも分かった(ような気がした)第一章にどんなことが書かれているかというと、
 母性の原理は「包含する」機能によって示される。そこにはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係のないことである。
 しかしながら、母親は子どもが勝手に母の膝下を離れることを許さない。それは子どもの危険を守るためでもあるし、母-子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。このようなとき、時に動物の母親が実際にすることがあるが、母は子どもを呑みこんでしまうのである。
 かくて、母性原理はその工程的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に至らしめる面をもっている。
です。そしてタイトルどおり日本の病理はこの母性で全て説明が付くというわけです。
例えば日本には「場」というものがあるのですが、
わが国においては、場に属するか否かがすべてについて決定的な要因となるのである。場の中に「いれてもらっている」かぎり、善悪の判断を越えてまで救済の手が差しのべられるが、場の外にいるものは「赤の他人」であり、それに対しては何をしても構わないのである。
というドキッとすることにつながるというのです。
場については、もう一つ面白いことが書かれています。それは、
 このためまことに奇妙なことであるが、日本では全員が被害者意識に苦しむことになる。下位のものは上位のものの権力による被害を嘆き、上位のものは、下位の若者たちの自己中心性を嘆き、ともに被害者意識を強くするが、実のところでは、日本ではすべてのものが場の力の被害者なのである。
 この非個性的な場が加害者であることに気がつかず、お互いが誰かを加害者に見たてようと押しつけあいを演じているのが現代であるといえよう。
そして続けて、
 場の構造を権力構造としてとらえた人は、それに反逆するために、その集団を抜けだして新しい集団をつくる。彼らの主観に従えば、それは反権力、あるいは自由を求める集団である。ところが既述のような認識に立っていないため、彼らの集団もまた日本的な場をつくることになる。そして、既存の集団に対抗する必要上、その集団の凝集性を高めねばならなくなるので、その「場」の圧力は既存の集団より協力にならざるを得ない。
母性原理を理解すると色々なことが腑に落ちますね。

★★★

日本の母性に対して西洋は父性というわけですが、父性とはどういうことでしょうか。筆者はこんなふうに書いています。
 母なるものの力は「包含する」力であり、すべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこむ。これに対して、父なるものは「切る」力をもっている。これは、ものごとを上と下に、善と悪に、物質と精神に、などと分けて考える。

 ……略

 キリスト教は父性の宗教である。仏教や道教などが母性の宗教であるのに対して、キリスト教やユダヤ教は父性の宗教であるといわれる。

 ……略

 これに対して父なるものの宗教は、父なる神の規範に従うか従わないかが決定的なこととなる。父との契約を守る選民のみが救済の対象となるのである。そこでは、神と人、善と悪などが判然と区別される。
日本的なものの見方と、西洋的なものの見方の違いについて理解が深まったように思いました。

そして、このような自我の違いについて理解しておかないと国際社会では、攻撃に対して憤りを感じたり、逆に無視されたように誤解したりするのでしょう。 これから国際社会で活躍する人は読んでおいた方が良いと思います。
[109]Marcus du Sautoy(著), 冨永 星 (翻訳):『素数の音楽』,新潮社,2005年.
 
昨年の11月15日のNHKスペシャルは『魔性の難問 ~リーマン予想・天才たちの闘い~』というものでした。

これは、2,3,5,7,11,13,17,19,23…と一見するとバラバラな数列にしか見えない素数の謎に迫ったもので、私なんかはリーマン予測に行く前の、
Π((p^2)/(p^2 - 1)) = (π^2 / 6)
※ pは素数

という式にすでにうっとりしてしまったくらい面白い番組でした。
それで、この番組のクライマックスは、
リーマン予想のゼロ点の間隔は、原子のエネルギー間隔と結びついていた。

という部分なのですが、ここに至っては、宇宙の秘密に触れたような気がしました。

★★★

そこで、素数についてもっと知りたいなぁと思って買ったのがこの本です。

本書は、リーマン予想を中心として、素数に戦ってきた数学者たちの歴史が書かれています。といっても読み物なので数学の知識は不要です。

ちなみに、リーマン予想(1859年)は、
ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ
というものです。

びっくりしたのは、リーマン自体がリーマン予想と物理の世界のつながりを理解していたというくだりです。

リーマンの遺稿を良く調べたところ、
リーマンはゼータ関数のゼロ点について考えるのと平行して、回転する球形の流体に関する証明を作り上げていた。リーマンは、現代の物理学者がリーマンのゼロ点を並ばせるために提案しているのとまったく同じ方法で流体力学の問題を解いていたのである。
というのです。えええぇー。リーマンすごい。

それから、1976年にマティヤセヴィッチという人が、すべての素数を導く式を作り出していたという話にも驚きました。
どんな式かは、こちらを参照ください。

478ページというちょっと長い本ですが、おもしろいですよ。